治水の歴史をたずねて

寛文2 年(1662)、白井武左衛門によって、野火止用水を新河岸川の上を渡して宗岡地区の灌漑に使用するために、いろは樋がつくられた。48の木樋をつないだので「いろは樋」と呼ばれた。鉄管は、明治30 年代に、樋に代わって川底に埋設されたもの。
元和3 年(1617) に沼で網に引っかかった阿弥陀如来を本尊として創建したといわれている。明治7 年(1874) の学制の施行時には宗岡学校( 小学校) として使用された。
元禄12 年(1699) 造立されたもの。昔から眼病の人々に厚く信仰されてきた。
文化10 年(1813) に建立された供養塔。 白井武左衛門は、江戸時代初期に上・下宗岡村を治めていた旗本岡部忠直の家
臣で、上・下宗岡村を直接治めていた。
在任中、いろは樋の架設・佃堤の築堤など、宗岡村の生産基盤の整備に尽力した。
観応2 年(1351) に上ノ氷川神社にあった茶臼を二つに分け、その上石を神殿の床下に埋め、その上にご神体を祀ったのがはじまりといわれている。このため北面して上ノ氷川神社と向き合って建てられ、村を守るとされている。
貞和2 年(1346)10 月に戦乱を逃れてこの地に来た落武者等が創建したと伝わる。梵ぼんしょう鐘は、市指定文化財。文政8 年(1825) の鋳造。
天和3 年(1683)、宗岡村の念仏組が念仏講の主尊として造立したもの。刻像であり三面六臂の像容をとった姿は、美術的
にみても大変価値が高い。
中ノ氷川神社ともいう。永享年間(1429〜1441) に武蔵国一の宮氷川神社を分祀したものといわれている。
本殿は、市指定文化財。明治14 年に竣工、鯉の滝登りや登り竜などの素晴らしい彫刻が施されている。
宗岡小学校の裏を通っていた奥州街道(甲州道ともいう)に設置されていたもの。かつては榎の大木が植えられていた。
 

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