志木市の歴史・伝統文化【国・県・市指定文化財】
【市指定文化財】
この貝塚で見られる貝は、ヤマトシジミが主体をなし、次にマガキ、ハマグリが続く。縄文式土器が出土し、諸磯式期(もろいそしき)の集落にも接しているため、縄文前期の遺跡と思われる。
【県指定文化財】
平成5年10月6日 志木市天然記念物に指定、平成10年9月「櫻の化学」研究誌にて新種と認められる<目通り3.07m 樹高11.20m 樹齢400年以上>
世界に一本の桜。
推定樹齢400年以上。ここだけでしか見ることのできない品種のため、毎年3千人以上の人が訪れます。
開花時期の4月上旬には、はたざくらガイドが案内をしてくれます。
【市指定文化財】
寛文7 年(1667) 造立。光背に「武ぶしゅうにいくらぐんひきまたむら刕新倉郡蟇俣村」とあり、引ひきまたむら又村に「蟇俣」の字が使われている唯一のもの。
【市指定文化財】
正保5年(1648)造立。石幢の六面に六地蔵を配した歴史的価値が高いもの。
【国指定重要有形民俗文化財】
引又地区の住民が地区の鎮守として信仰していた村山稲荷の他、星野稲荷、水神社を浅間社に合祀し、明治41 年に浅間社境内に創建された。
【市指定文化財】
いろは樋は野火止用水を対岸の宗岡村へ引くために、寛文2 年(1662)に宗岡村の領主岡部忠直の家臣白井武左衛門によって新河岸川の上に掛けられた筧(かけひ)。大桝は、用水の水を一度ためておくために使われた。この大桝は明治31 年に造られたもの。木製から煉瓦積みとなり、樋も木製から鉄管となって川底に埋設された。
【国登録有形文化財】
主屋を含む全7棟が国登録有形文化財。明治20年代に創業された薬局。明治45年建築の店舗兼住宅の主屋をはじめ明治から昭和初期の建物構成がよく残されている。
場所
保管:志木市立埋蔵文化財保管センター
出土:幸町3丁目
指定年月日:平成25年3月1日
弥生時代の終わりから古墳時代のはじめの住居跡から出土した、イヌと推測される動物形土製品。
イヌであれば、土製品としては全国的に唯一の資料とされている。
頭部が長く、口まできちんと表現されており、両耳は立ち、しっぽは巻尾で、ややおしりにひねりがあり、小型犬を思わせる。
場所
保管:志木市立埋蔵文化財保管センター
出土:幸町3丁目
指定年月日:平成25年3月1日
西原大塚遺跡の方形周溝墓・墓穴の周りを四角い溝で囲んだ墓)から出土した壷形土器4点とトリと推測される動物形土製品。
この方形周溝墓は、弥生時代後期から古墳時代前期のもので、一辺が20メートルを超える市内でも最大規模であり、これらの出土遺物は埋葬された人物の地位や埋葬儀礼などを知る上で、大変貴重な資料。
場所
保管:志木市立埋蔵文化財保管センター
出土:柏町3丁目
指定年月日:平成25年3月1日
城山遺跡(柏町)の平安時代(九世紀の終わりから十世紀のはじめ)の住居跡から出土した、銅印、緑釉陶器1点、須恵器6点、布目瓦2点。
銅印は、県内唯一の出土であり、印面には「冨」の一文字が刻まれ、個人が所有する私印と考えられ、個人が所有を許されたということでは、この住居に住む人物が、農民ではなく、役人またはこの地域の有力者であったと想定できる。
また、緑釉陶器は、市内で唯一の発見であり、愛知県猿投山古窯跡群でつくられたもの。これらの資料は、この銅印を所有していた人物像を推測する上で、大変貴重な資料。
場所
保管:志木市立埋蔵文化財保管センター
出土:柏町3丁目
指定年月日:平成25年3月1日
城山遺跡の住居跡から出土した、皇朝十二銭の1つである冨壽神寶2点、鉄鎌1点と土錘1点。
冨壽神寶は、皇朝十二銭の5番目に製造された銭貨(せんか)で、初鋳は818年。この冨壽神寶は、現在、全国で700枚ほど発見されているが、県内では10枚にも満たない稀少なもの。今回は2枚の冨壽神寶が同時に発見されており、大変貴重な資料。
また、この銭貨は、出土の様子から、本来のお金での価値や目的ではなく、祭祀的な目的で使用されたものと推定される。
【市指定文化財】
明治10 年(1877)に建築された木造二階建て土蔵造りの店蔵で、本町通りに屋敷を構え、各種家傳薬を製造、販売する薬店であった。平成7 年に解体後、平成13年に現在の場所に復元された。
【市指定文化財】
上流からの水を防ぐ目的で、正保年中から寛文のはじめ(1644〜 1662) 頃に、岡部氏の家臣白井武左衛門により築かれた。
【市指定文化財】
宗岡小学校の裏を通っていた奥州街道(甲州道ともいう)に設置されていたもの。かつては榎の大木が植えられていた。
【市指定文化財】
天和3 年(1683)、宗岡村の念仏組が念仏講の主尊として造立したもの。刻像であり三面六臂の像容をとった姿は、美術的 にみても大変価値が高い。
【市指定文化財】
貞和2 年(1346)10 月に戦乱を逃れてこの地に来た落武者等が創建したと伝わる。梵ぼんしょう鐘は、市指定文化財。文政8 年(1825) の鋳造。
【市指定文化財】
元禄12 年(1699) 造立されたもの。昔から眼病の人々に厚く信仰されてきた。
場所
上宗岡4丁目
指定年月日:平成25年3月1日
庶民の信仰である富士信仰に基づいて、江戸時代に結成された丸藤講が中心となって、明治時代に築造した富士塚。荒川の河川改修事業と県道改修工事のために、二度の移築を余儀なくされたが、熱心な信仰によって、整然と整備されています。名称については「羽根倉富士嶽」として信仰されている。
塚には、合目石をはじめ、小室浅間大神、烏帽子岩、泉瀧、小御岳石尊大権現、浅間大神など多くの神仏等が祀られ、塚の表面には黒ボク(富士山の溶岩)が配置され、胎内穴も作られている。また、石造物の寄進者名からは、宗岡だけでなく近隣地域からも信仰を集めていた様子をうかがうことができる。
二度の移転を経ながらも、富士塚の基本要素を維持しており、近世からの富士信仰の様子をよく示す貴重な文化財。
志木の歴史・伝統文化をご紹介。 上のボタンを押して下さい。