宗岡の里をたずねて

  創建年代不詳。境内にある「水神宮」の碑文は、龍眠門下の高弟三眠(さんみん)の一人神山雲眠の筆による  

 

  かつて、橋のたもとにむじなの親子が住んでいたため、この名がついた。  

 

  文明1 8 〜 1 9年(1486〜1487)の頃、関東各地を遊歴した道興准后が、この地で詠んだ「夕けぶり あらそう暮を見せてけり わが家々の むね岡の宿」の歌碑。  

 

  上ノ氷川神社ともいう。承暦2 年(1078) に千光寺住職兼大僧都善海が武蔵国一の宮氷川神社( 現さいたま市大宮区) を分祀したものといわれている。  

 

  上流からの水を防ぐ目的で、正保年中から寛文のはじめ(1644〜 1662) 頃に、岡部氏の家臣白井武左衛門により築かれた。  

 

  新義真言宗智山派。天慶4 年(941)創建と伝わり、市内の寺院では最古の歴史を持つ。聖観世音菩薩像は、33 年に一度の開帳。また、鰐わにぐち口は市指定文化財( 応永25 年(1418) の銘あり)。  

 

  曹洞宗大泉院( さいたま市) の末寺。大泉院の第5世であった喜翁良悦大和尚の開山。弘治2 年(1556) の創建と伝わる。  

 

  建久4 年(1 1 9 3 )、源頼朝が富士の裾野で巻き狩りをした際、勢子として駆り出された代償に田租が免除されたことを記念して祀られたと伝わる。  

 

  観応2 年(1351)に高麗彦四郎経澄(足利尊氏方)と難波田九郎三郎(足利直義方)の戦いがあった。  

 

 

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