明治5年6月に築造された富士塚。
古墳といわれてきた「田子山塚」の上に三十三尺(約10m)の土を盛り、2年8カ月の歳月をかけて完成したといわれている。

築造の発起人は後に富士講の先達となった高須庄吉で、現在、山の正面右側にある浅間下社に祀られている暦応3年(1340)の紀年のある十瀧房承海の逆修板碑を発見したことが築造のきっかけといわれている。

高さは8.5m、円周125.3m、斜度39度の丸みのある方形をした富士塚で、登山道や胎内なども造られており、頂上には木花咲耶姫命が祀られている。

山の規模もさることながら、特に石造遺物の数と種類、細工は他の富士塚と比較しても並はずれて優れており、当時の引又河岸や富士山信仰を知る上で欠かすことのできない貴重な文化財である。
なお、国指定重要有形民俗文化財に指定されている。

平成27年度からの保存修理工事により登山道が修復され、平成28年7月2日から、入山日には、塚に登ることができるようになりました。

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